壷屋焼

TSUBOYA YAKI

壺屋焼は沖縄県那覇市周辺で生産されている伝統的な日本の陶器です。その歴史は江戸時代初期に遡り、薩摩の島津藩が琉球を占領した後、当時の琉球王朝が沖縄各地に分散していた3つの窯場を統合し、その土地を『壺屋』と呼んだことからはじまりました。

壺屋焼は釉薬をかけ1230度前後の高温で焼かれた上焼(じょうやち)と、釉薬をかけないで1120度前後で焼かれた荒焼(あらやち)に区別されます。またその紋様は、菊紋や、金城次郎氏が好んで描かれていた魚紋などが有名です。


宮古島壺屋焼

MIYAKOJIMA TSUBOYA YAKI

宮古島壺屋焼は沖縄県宮古島市で生産されている伝統的な陶器です。壺屋焼の伝統を受け継ぎながら、昭和になって、人間国宝である金城次郎氏の一門である金城敏信氏によって、宮古島に窯(金城陶芸)が開かれました。

宮古島壺屋焼には、沖縄のシーサーや焼締花瓶がありますが、牡丹、ハイビスカス、魚の紋様が描かれた陶器なども有名です。また一つの器で泡盛を回し飲みするためのオトーリグラスと呼ばれる宮古島独特の酒器などもあります。


琉球焼

RYUKYU YAKI

琉球焼は沖縄県糸満市、名護市など沖縄県全域で、生産されている伝統的な日本の陶器です。その歴史は琉球王府時代まで遡ります。沖縄地方では壺屋焼が有名ですが、壺屋焼以外にも多くの窯元があり、琉球焼と称されているようです。

琉球焼は、シーサーをはじめ、さまざま形状の陶器がありますが、ツートンカラー、独特な海の色、窯変による深い青色など、色彩においても多種多様です。釉薬としては緑釉、飴釉、コバルト釉と白化粧などを混ぜ合わせて、使われることが多いようです。


読谷山焼

YOMITANZA YAKI

読谷山焼は沖縄県中頭郡読谷村で生産されている伝統的な日本の陶器です。その歴史は壺屋焼よりも古く、喜名焼と呼ばれていましたが、のちに廃窯となりました。その後、金城次郎氏が読谷村に移ったことをきっかけに、大嶺實清氏、金城明光氏、玉元輝政氏、山田真萬氏の4名の陶工が読谷村に移り、窯を設けたことで、現在の読谷山焼となりました。

読谷山焼は、沖縄の土、壺屋焼の伝統技法を基本としつつ、サトウキビを用いた釉薬、鮮やかなブルーに焼成される独自の釉薬など、陶芸家それぞれ独自の作品を制作されています。